経験は宝物

私が、イベントで放送係をやったり、宴会で司会をやったりするのは、
たぶん、高校時代の放送部の経験から、
人前で原稿を読むことにあまり抵抗がないからかもしれません。
(アドリブは、ダメダメです)

あまり皆がやりたくない役柄のわりに、私が「誰もやりたくないならいいよ~」ってな感覚で引き受けられます。

毎朝、NHKのAMラジオを聴くのですが、
たまたまFMになっていて、どこかの民放の放送が流れていました。
そこから、なんだか聞いたことがある名前が・・・
高校の部活の後輩でした!

すごい!ラジオのパーソナリティー(って言うの?)ではありませんか?!
当時から上手な子でしたが、そのかわいらしく瑞々しい声は変わりなく、
ただしゃべりがしっかりになって、名前と声で、すぐにわかりました。
あの頃から、声のお仕事にあこがれて頑張っていたのか、たまたまそうなったのかわかりませんが、
とても懐かしく、そしてとても感慨深く感じました。

私は、高校部活時代、アナウンス部門ではなくて、朗読部門だったのですが、
NHK杯のコンテストで、実は全国大会にも行きました(笑)
なのに、今は、もう、レッスンも噛み噛みで・・・・情けない。

彼女に気づいてから、いろんなことを思いめぐらしました。

顧問の先生が、それはもう厳しくて。
物理の先生だったのですが、物理室と放送室が、不幸にも対面にあって、
まずい校内放送をしてしまうと、物理室の窓がバンッと開いて、
「誰かぁ~今のはぁ~~⤴」と、野太い声のゲキが飛びます。
また、例えば「紅葉の葉」という言葉を読むとします。
だいたい、決まって
「お前は、その紅葉の葉をイメージして読んだのか?え?
どれくらいの大きさで、どんな色で、どんな質感で、どんなところにある紅葉なんだ?
晴れの日か?曇りの日か?朝か?夜か?」みたいな質問攻めにあうんです。
「お前の声から、俺はどんな紅葉か想像できないんだよ!見えないんだよ!情感がないんだよ!」
なんて、高校生に言われても・・(苦笑)
それだけ、丁寧に作品を読めということだったのでしょう・・・
私は逆に「アンタはいったい何を言っているんだよぉ」と心で思っていましたが。

そんな訓練は、その後の人生に、本当に役に立ちました。
まぁ、めんどくさいこともありましたが(笑)

太極拳が楽しく感じることができたのも、その先生のおかげだと思うし、
物事一つ一つに丁寧に取り組むクセがついたのも、
どれだけ気持ちを込めたかは、口でアピールしなくても相手に伝わるということもわかりました。

「とかく物事を分類して名前をつけたがるのが人間の人間たる所作」だと、
よりによって理系の知人が言っていましたが、そういう目に見える「名前づけ」も、
訓練や心の持ち方という見えない部分と表裏一体であるような気がするし、
結論があって、それがどうしてそうなるのか、紐解いていくことが素晴らしい勉強だと感じます。

今まさに、私の勉強していること、
太極拳が東洋的ならば、新しい勉強は西洋的で、それが互いに理解を深め、
時間を忘れてしまうほど楽しいです。

文字にし言葉にし説明できるほど、強く濃く自分に落とし込むことを大事にしなければいけないと思う反面で、「なんとなく」という感性も大事にするべきだと感じます。

記事の内容とは関係ないのですが・・・
この写真、ちょっと感動的☆

傅先生のWe Chat にアップされていた記事の写真です。
スペインのマドリード空港だそうですが(たぶん)、傅先生が着ているシャツ!!
先月、来福された際、私がプレゼントしたんですぅ( *´艸`)
スペインでも講習されたみたいです。




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