2019年11月25日月曜日

一事が万事

フランシスコ教皇のお言葉、癒されますね。眩しいです。
彼は、眺めている景色と想いの根本が違います。しかし抽象的ではない。

もっとも大事でもっとも難しく感じるけど、みんなが原点に戻ればできること。
時間を要するけれど、でも結局それは、一番無駄や犠牲がなく、一番効果がある。
高い理想のようだけれど、それが、理想になってしまうような現代が問題なんですよね。

やっぱり、そこなんですよね。。。

会社に入ってくるアルバイトの育成でも、インストラクター育成でも、
任務に対し、ただマニュアル通りの結果を作るためだけに時間を費やすのではなく、
どうしてそうすべきなのかの根本を、脳みそや思いや五感を使って感じて欲しいと思っています。
アルバイトスタッフには、書類の綴り方、印刷の位置、領収証の貼り方、そういうことから細かいです(笑)
「あなた以外の人が、あなたの作った書類を閲覧したり処理するときに、
気持ちよく作業ができるように 」やるのです。
気持ちがいいと思ったあなた以外の人は、あなたに感謝し、感謝されたあなたも幸せな気持ちになる。
そうすればお互いが仲良く楽しく仕事ができる。
逆パターンもあって、やれと言われた通りにやったら周りから感謝されて、
なんかいい気分だな。あ、自分のやっていることが人を幸せにしているぞ、みたいな。
どうしたら読みやすいかな、どうしたらわかりやすいかな、
そして、どうしたら、あの人は喜んでくれるかな♡
そんな風に工夫し考えながらお仕事をするって、楽しいと思いませんか?

そういう気遣い、つまり「愛」は、
自然と、お客様やお取引先や周りの人に対する言動、働く場所や道具に向き合う姿勢にまで表れて、
もう、何も指導しなくても、安心してお仕事を任せることができます。
そして、この現象はマニュアルではなく、その人の習性となってどこのどの状況でも役に立ちます。
物理的な業務の得手不得手は、役割分担やお互いのフォローで補えます。
もちろん、この「思いやり愛」は、外に向けてだけではなくて、
自分の身体、心、存在に対しても大事なことです。
そして、口だけではなく、行動できる人が本物です。
清廉潔白である必要はないんです。グチや文句も言ってもいい。
愛のある人の毒言は、新陳代謝で出るカスみたいなものです。


「一事が万事」という言葉、これを考えた人はスゴいって思います。
ホントに、すべてはつながっています。
自分で認識できていない部分までも、紐づけされている。
だから、自分の変えられるところを改善すれば、それは確実にすべてによい影響を及ぼします。
(その逆もありきで・・・マイナスのスパイラルってこともありえますね汗)

私も、色んな人に会いますが、
その人の見ている範囲というか、スイッチの入っている部分みたいなものは、
なんとなく認識します。
それによって、その人の身体や生活に起こっているだいたいのことに納得します(笑)
なので、結局は、私を含めて、人の人生はその人が決めているような気がします。

私はというと、自分の現状に満足しているわけでも不満に思っているわけでもありません。
正直、不遇だなぁって思うこともあります(笑)でも、笑える程度です。
現状を変えたいというよりも、
もっともっと素晴らしい人に会い、素晴らしさを盗んで、自分を昇華させたいと思うのです。

警固神社の掲示板に書いてあった言葉
「磨いても光らぬ鈍刀は 磨くあなたを光らせる」
その時の私に、ストライクに刺さったので、誰の言葉かネットで調べてみました。
なんと、「念ずれば 花ひらく」と同じ詩人でした。

お蕎麦三昧
 
 
素朴なゆえに、難しい・・・

2019年11月4日月曜日

人生キラキラ

朝起きて窓を開けると秋の匂い・・・
鼻腔を通って喉を通って、私の身体の中に染みわたるこの冷気、素晴らしいです。
黄金に輝く季節、まさにキラキラ。

早朝7時の高速バスで大分に向かっている車中です。

しばらくの間、夏の疲れでなんとなく体調がすぐれず、なんとなく忙しく、
ブログを書く気力がありませんでした。

先月体育の日、太極拳の福岡市のお祭りが無事に終わりました。
今年は、いちにの会が楊式に初チャレンジし28式を演武、
まいぺーすチームも、「平均75歳の手習い」で、楊式8式を頑張りました。
毎週の練習の他に練習時間を確保して、約半年でなんとかそれっぽい形ができて、
私はとても満足しています。
他人の評価は気にせず、
自分達が頑張った証は、自身に確実に刻まれているので、
それを自信にして、これからも、体得し発見していくことの快感を感じてほしいです。

毎週の教室にあまり参加できない、最年少N田さんは、
今回は個人の演武だけに出場しました。
彼は制定拳の24式を演武したのですが、昨年の失敗を一応挽回し、ひと段落しました。
大会後の教室で「これから、拳式、何やりたい?」って聞いたら
「ボク、楊式やりたいです!」って言ってくれました。
すごく嬉しかった。

N田さんのことはよく他の団体の方から、「あなたのお弟子さんのあの・・・」ってことで話しかけられることがあります。
でも「弟子」という言葉に違和感を覚えてしまうんですよね。
私は弟子なんてとりません(笑)
そんな度量もないし、みんな「生徒ちゃん」です。
というか、後輩くらいでちょうどいいです。
ちょっとだけ、皆より早く太極拳をやりはじめただけ。
ちょっとだけ、興味を覚えて学んだり考えたりする機会を作っているだけ。
そして「ねぇねぇ、太極拳って、めっちゃいいって!」と宣伝して回っているおばちゃんです。
太極拳の良さをみんなで共有したくて、
習ったり自分で工夫したり考えたりして、教えながら私も頑張っているんです。
集団演武は、私の教室においては、張り合うこととかそろえることが目的じゃないです。
つながることが目的です。太極拳はそれが可能です。
肉体を使って、練習することが前提の話ですが。

私の教室の生徒ちゃんがもし、他の先生に習いたいと言ったら、
まぁ少しは寂しいと感じるかもしれないけど、引き留めたりしないと思います。
目的が太極拳なら、いいんです。
そして他に移った後、どこかで再会しても、普通に挨拶できると思います。
逆に、太極拳や私が嫌いだったら、教室を辞めてほしいです。(笑)

団体やリーダーどうしが目先のことで対立したり、嫉妬し合ったり、○カバカしい。
指導者は、生徒がハッピーになるように頑張るべきです。
業界自体を発展させ、太極拳の良さを広く伝えたければ、
自分が幸せでなければならないし、愛好者によい経験をさせてあげなければならない。
もちろんそれは、過保護とか媚びを売るとかじゃないです。

こういう話を、他県の拳友に話していたら、
「まさよちゃん、だいたいの教室は、指導者がハッピーでいられるように、
生徒が気を遣うっていうおかしなことが常識なんだよ」
また別の拳友は
「なんだか太極拳が義務になってきててつらい。しがらみとかなにも知らなかった時は楽しかった」
まぁ。。。。
そうですよね、私もそういうのがイヤだったから、
自分の生徒にはそんな気持ちで太極拳をやってほしくないから、
今の状況に至っているのですが。。。(苦笑)

習うだけのうちが、本当に楽です。
一人一人、すべてが違う人達に教えることは、苦悩の連続です。
でも、教えることでいろんな面で成長できたし、楽しい思い出もたくさんできました。
「ねぇ、何を教えてほしい?」って問いかけた時
「先生の教えたいことを習いたい」って言ってくれる生徒ちゃんのために、
そして、自分の幸せのために、少しずつ頑張りたいです。

先月、マスターの命日でした。
1年か・・・短いような長いような、ふしぎな感じ。この1年、私は何ができたかな。
 私の天命って、なんだろな。